スポーツのすゝめ vol.01

「楽しんで、自ら考えるバスケットを」元プロバスケットプレイヤー 外山英明さん

プロフィール

千葉敬愛高校在籍時はインターハイ・国体に、青山学院大学在籍時はユニバーシアードに出場。卒業後は熊谷組に入社し、新人王やMVP、ベスト5を獲得。全日本にも選ばれ、アジア選手権に出場。熊谷組バスケ部休部後は大和証券(現・新潟アルビレックスBB)に移籍。1997年にはプロ契約を結び、日本人プロ第1号となった。夏にはアメリカに渡りサマーリーグにも参加。その後、アイシンシーホースに移籍しタイトルに貢献。2005-06シーズンのJBLスーパーリーグ最年長選手であったが、このシーズン限りで現役引退。現在はバスケットボールカレッジなどでの後進の指導、解説者として活躍している。

モチベーションの源泉は友達だった。

Q1.身長が197cmおありになりますが、いつ伸びましたか?

A1.小学校までは学校で1番大きかったのですが、その後一度成長が鈍化したので中学生の時は目立って大きいという程ではなかったですね。その後高校2年生で急激に伸び始めました。180cmに届いていなかった高校1年の時に、レントゲン写真をみた整形外科医から「2メートルはいくね~」と言われて、驚いたのを憶えています。社会人になってからも少し伸びてましたね。長身は遺伝です。親戚も含めて身長が大きい家系なんです。でも運動能力は遺伝ではないような気がします。両親は殆どスポーツをやらない人でしたから。

Q2.バスケットプレイヤーとして常にスタープレーヤーではなかったそうですね?

A2.中学生の時はスタメンに名を連ねることのない補欠でした。高校2年生の時にやっとスタメン入りしました。中学・高校の時はバスケットに対してモチベーションが高くなかったんです。実は、中学校ではバレーをやりたかったんです。オリンピックを観て憧れまして。でも部活にバレー部がなかった。友達に誘われて渋々バスケ部に入りましたが、サボってばかりいて、釣りやプールに行ったりしていました。
バスケットの強い千葉敬愛高校に入ったのでスポーツ推薦だと勘違いされるんですが、バスケット部への入部が前提だったわけではなく、公立高校の受験に失敗してやむなく行くことになっただけなんです。入部する気もなく1年生の夏頃までは帰宅部でした。その後、友達の誘いを断りきれずに入部したんです。入ってみたら予想通り厳しい練習でした。当時は殴られても当たり前で、まるで軍隊のようでした。足を揃えて走っていた位ですから。30人入って10人も残らないという厳しい環境でした。
放課後の練習を考えると、お昼休み位から憂鬱になっていました。唯一サボれる方法は赤点をとることでした。赤点の補習は部活動に優先されるんです。だから、テストの時はギリギリ赤点になるように計算して40点を超えない答案づくりをしていました。

元プロバスケットボール選手 外山英明

ブレイクは自律と気づきから

Q3.そこまでしてバスケットを続けさせた原動力は何だったのでしょうか?

A3.やめる勇気がなかっただけです(笑)、というのは冗談として、やはり友人だと思います。苦楽を共にしたチームメイトと離れたくなかったのだと思います。今でも中学・高校の友人とは交流があって、とても大切な財産だと感じています。

Q4.バスケットボールプレイヤーとしてブレイクしたのはいつだったのでしょうか?

A4.社会人になってからだと自分では認識しています。高校まではやらされるバスケットでしたし、大学では高校の反動で楽しむバスケットを目指していました。社会人になって初めて自ら考えるバスケットを志向できたと思います。社会人1年目にユニバーシアードに選抜されて、森下先生(元拓大コーチ)からポイントガードを仰せつかりました。常に全体を見渡して現状を分析し、何をすべきかを考えるように指導を受けました。そこでゲームメイクの面白さを知ったのがきっかけだったと思います。バスケットは戦略性に富むスポーツであり、ゴール数が多いので色々な得点の取り方がある。そんなバスケット独特の醍醐味に気づいたんですね。
そこからバスケットへの取り組み方が変わりました。自分またはチームに何が足りないのか?それを身に付けるのにどんな練習が必要なのか?を考えるようになりました。僕は「気づき」が遅かったと思いますが、この「気づき」は早ければ早い程いいですね。日本はコーチングがまだまだ根付いていないので、スポーツを受動的にやらされているだけの選手が多いと思います。僕自身が最たるもので高校までサボることばかり考えていました(笑)。でもそれでは勿体ないと思います。スポーツに対し能動的になって、自ら考えるようになって初めてアスリートしての成長が待っているのだと思います。

子どもにとって自然に触れる外遊びや様々なスポーツの体験はとても大切。

Q5.子どもにバスケットを指導する際に心がけていることを教えてください。

A5.苦しい練習でも楽しさを見つけるように指導しています。本来スポーツは楽しむべきものなのです。それが絶対のベースです。勝つことだけを目標にしていると負けた時に何のためにやっていたのか?、となってしまう。優勝し続けないといけないスポーツなんて息苦しいですよね。そして、子ども自らが考えてスポーツに接してゆけるようにコーチングします。何のためにやっている練習なのかを分かっているのと、ただやらされているのとでは成果に差が出て当たり前です。

Q6.チームの練習以外で特別な努力をしていましたか?

A6.特には思い当たりませんが、様々な遊びに触れましたし、バスケット以外のスポーツを色々経験したことがプラスに働いているような気がします。小学校の時は山に行ったり川行ったり野球をしたりで、家にいた記憶がありません。サッカーやスキーも得意でしたよ。最近の子どもは外で遊ばなくなったので、神経系の発達が未成熟なんです。色んな遊びやスポーツを行うと自然に神経系が発達して、どんなスポーツにも適応できる能力が自然に身に付くんです。ゴールデンエイジと呼ばれる小学校高学年くらいまでに色んなスポーツを経験して、その上で自分に合ったスポーツを選ぶのが理想だと思います。

インタビューを終えて

外山さんは私と同学年で当時のバスケット界ではヒーロー中のヒーローでした。「マイケル・ジョーダンのような華麗さを追い求めていた」とご本人が仰るように、現役時代のスピード感溢れるカットインを忘れられません。そんな外山さんが中学だけでなく高校までも自ら進んでバスケット部に入部した訳ではなかったのには驚きました。バスケの神様が見逃さなかったということなのでしょう。現役引退後に早稲田大学大学院にて修士号を修められた理論派でもあります。僭越ながら、今後の日本バスケット界の発展に欠くことの出来ない存在だと感じました。(2011.4.19)

NPO法人SKiP理事長 新井茂


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